「わくらば」に込めた想い part1
幸せなセカンドライフは如何にすれば送れるのか?
人生百年時代を見すえて、
生き方を考える メソッド
「4ポイント& 9アイテム」
令和3年11月、古希を迎えて小説を幻冬舎から初出版しました。
これは、私にとっての新たな人生への挑戦です!
【 目 次 】
自分を知る ~4つのポイント
幸せへと導く、気づきやヒント~9つのアイテム
五十代から六十代というと、人として成長し、子供を育て、仕事をこなして、ホッとひと息をつくこの時期、自分の人生を考えると、人生の午後三時や四住期(しじゅうき)の林住期(50歳~75歳頃)という、これまで読んだ本からこれらの言葉が頭に浮かびます。
60歳と限定すると還暦です。この還暦は、古代中国を発祥とする時間や方角の単位の「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」との組み合わせで、60でひと周期とされています。
そのひと周期を終えてはじめにもどるとする還暦を、人生の大きな節目とし、60歳の誕生日を日本では、赤いチャンチャンコを着て祝う風習があります。
残念ながら私はその祝いを受けませんでしたが、60歳の誕生日は感慨深いものがありました。
そもそも還暦を挟んだ二十年には、身体的な衰えを覚えるとともに、子供の独立や親の介護、そして、昨今よく耳にする人生百年時代という、高齢化による長い老後生活の入り口ㇸとさしかかります。こうした健康や家庭の変化に加え、定年を迎えるなど、社会との関りにも新たな変化が生じてくる時代です。
この訪れる変化こそ、私は、人生の転機と考えます。
我々のこの年代に限らず、当然、人生には多々転機があります。
世代で共通するのもあれは、個人によって異なる転機と様々で、その大きさも内容で違います。
しかし、総じてこの年代の転機は大きいと思います。
企業人の定年退職後の生活において、無気力感に襲われる人が多いと聞きます。
ことのほか、現役時代、仕事に責任と誇りをもって、バリバリ働いていた人にその傾向が強いそうです。
それほど仕事に情熱を傾けていなかった。つまり、家族や生活のために、仕事に満足感を得られないで、我慢と惰性で働いていた人でも、将来に具体的な目標をもっていなかったとしたら、どうでしょう?
また、夢を追いかけては諦め、それを繰り返しながら悔恨の念を引き摺り、人生に充実感を得られないまま、時間だけを浪費している人にも、同じように転機は訪れます。
私は常に、たった一度の人生だから、幸せなものにしたい、それも、自分らしく生きたい。
と、これまで漠然とそう願いながら暮らしてきましたが、この先の人生をどう生きるかという具体的なシメージや目標、このくらいの
歳にはこうなるという着想、そのためにはこの時期にこれとこれを達成しておこうという計画、いわゆる人生のグランドデザイン
(全体構想)が自分には無かったことに気づきました。
当然、なんの準備もありません。無気力感や不安から開放されることなく、行き当たりばったりという、そんな、人生になってしまうのではという焦りと不安が募りました。
私のように将来に不安を抱え、その対策や方法が分からない人などはいったいこの転機をどう乗り切ればいいのでしょう・・・
みなさんは、どう考えますか?
この世代の人でなくても、転機に直面し、うまく乗り切れていないと思うなら、私と同じく一度立ち止って、今こそ、自身の人生を
考えてみるいい機会だと思います。
この歳になると、朧気ながら自分の行く末が見えてきます。
さりとて、今更メジャーリーグで活躍するなんて1,000パーセント不可能ですが、さりとて人生すべてを諦めているということでも
ありませんし、何がしら満足する、「自分らしい人生」が、あるはずだと希望は捨てていません。
いずれ来る終焉、そのときには悔いなく、「自分らしい人生を送れて幸せだった」と、実感して終止符をうちたい。
そう思って、いろいろ手探りで考え、実践する日々を過ごしました。
諦めることなく、苦慮と模索を重ねていくうえで、最初に、漠然とした願いだった、「たった一度の人生だから幸せなものにしたい、それも、自分らしく生きたい」を、私の人生の目標と、明確にしました。
そうそう、少し余談になりますが、先日、ある方が主催するサロン的な場で、この「自分らしく生きたい」と、いうお話をしましたら、参加されていたAさんが、「小山さんの大筋のところは同意しますが、その「自分らしく」と、決めつてしまうところは、如何なものでしょう? 私なんか、趣味もひとつに決めないで、好きなものをいろいろやっています」と。
すると、主催されている方が、「Aさんは某大手新聞社でそれなりのキャリアを積まれていましたから、ジャーナリストとしての信念ですか、ひとつに決めないで広く見る視野が職業柄おつきになっているのでしょう」と、私との仲をとりもつように言われました。
私は、「それがAさんの想いなら、なれそれこそAさんらしく生きているのでは、素晴らしいじゃないですか。私はこうと決めたらストイックに何がなんでもと言っているのではありませんし、そもそも、それこそ自分らしくない。私の言っている『自分らしく』が拘りのように聞こえたのなら、申し訳ありません。本来もっている自分と理解してください」と、私の表現の拙(つたな)さをお詫びしました。
ここは重要ですので、誤解のないようにお願いしたいと思います。
それでは次に、それぞれの人生の目標に対して、実行可能なグランドデザインをどう描くか、というところに進みましょう。
私の腐心する日々が続き、やっと人生のランドデザインは、次の問いの答えを出す
ことで描けると、確信しました。
その問いとは、次の4つです。
・自分にとっての幸せって、何?
・自分らしい自分って、どんな自分?
・自分の人生は、何のためにある?
・そして、これからどう生きる?
それからまた、この「4つの問い」の答えを求め、苦悶することもあり、腑に落ちて前が開けたときもありと、試行錯誤を何度も繰り返し、あるきっかけからひとつの気づきを得て、自分の求めている答えはこれだと確信しました。
それを少しずつ実践し、この転機を乗り切れたと実感するまでに、気がつけばおよそ十年かかっていました。
グランドデザインに沿って、こつこつ実践していくと、雨が上がり、次第に雲間から陽が指していく・・・
この「わくらば」の情景のごとく、少しずつですが、自分や自分の前が見えてきました。
よって、その仕上げとして、私がこの十年に経験した苦慮と模索、気づきをモチーフとして、一冊の本にしたいと思いました。
私の人生のグランドデザインを描くために、避けて通れない「4つの問い」・・・、
その答えを求めて、あさるように実用書を読みましたが、その場しのぎの清涼飲料水のようなもので、文言を理解できても心の奥には届きませんでした。
当然、答えに辿りつくことなく日々が過ぎ、還暦を迎えても、焦りを感じこそすれ、
なかなか明快な答えが出てきませんでした。
「わくらば」の一節 (24頁) 主人公の正行に、仲間だった浅井が言ったセリフ。
浅井:「“人は貧すれば鈍するって”正さん、よう言うとったやんけ。経済的にゆとりがあるときはどんな人間かて穏やかで、なくな
ったらカリカリするし喧嘩もする。なかには悪事に手をだす奴もおるて。そやから、ワシがどつぼに嵌っとったときかて、“朝の来ない夜はない”とかうまいこと言うて、力づけてくれたやんけ」
と・・・、正行の浅井への言葉ですが、その内容にはなにも間違いはなく、本当に真を得たことばです。現にその言葉から浅井は力づけられたと、感謝の気持ちも込めて正行に話しています。
しかしながら、当の正行は自ら発した言葉にもかかわらず、現状は当時の正行と浅井との立場が逆転しています。
論語読みの論語知らず的な、二十代の主人公の人物像として表現している一節ですが、60歳を過ぎた私も、まだこんな感じでした。
語句として知っていると、身につけているとでは大違いです。
あくまで私の場合、実用書を読んだときにはなんとなく理解できたように思いましたが一時的で、実用書の内容が答えに直結するということはありませんでした。
「4つの問い」の答えは、日常の生活の中で得た気づきやヒントを実践して得られたのですが、その過程で頭の中を整理し、ロジックに裏付けることに関して、これまで読んだ実用書はとても役に立ちました。
この事は、米国・ロミンガー社の研究結果で知られる、習得効果は70%の「経験」、他者からの「薫陶」が20%、読書や講習が10%という人材開発でよく用いられている70・20・10の法則に裏付けられています。
よって、私は十年がかりで得た答えを少しでもより理解して貰うには、読者に内的変容、つまりシンパシーを感じる小説の方が実用書よりいいのではと考えました。
たった一度の人生だから、悔いなく幸せなものにしたい! と、誰もが思うことです。私は不幸な人生でいい! という人はいないでしょう。
よって、
テーマとしたのは、直面している人生の最大のこの転機を、どう乗り切り、自分らしいセカンドライフをどう生きか?
これが私から読者の方に考えてみて欲しいと、強く思い主題にしました。
ターゲットの設定を五、六十代からに置いていますが、男女を問わず他の年齢層の方にも、転機に直面したとき、それをどう乗り切るか、そのヒントになると思います。
ストーリー
時代背景は平成22年、中国が日本を抜いて米国に次ぐ世界第二位の経済大国になったころ・・・、この年、「ゆとり教育」もなぜか失敗のような雰囲気の中で終わり、日本人としての自信や誇り、幸福感まで薄れていくような世相だった。
主人公の野村正行は昭和31年生まれの54歳、大阪で複雑な環境の中で育った。
大学を出て社会人になり、東京に出て羽振り良く暮らしていたものの、事業に失敗し、中学生の長男の面倒をみながら、主夫としてヒモのような生活を送っていた。
偶然再会した古い仲間の浅井との邂逅が、過去の自分の人生と向き合い、自分を変えて生き直すきっかけをくれる。
病葉(わくらば)のように外れ落ち、腐っていた男が、邂逅(わくらば)によって、人生の本質に気づく。という流れです。
私はこの年代の多くの人とこれから先の人世について話をしてきましたが、この変化を感じながら明確に今が転機と捉えていない人の多さには驚きました。
自分には不安がある、悩みがある・・・
とはいうものの、不安だけど漠然としていて・・・、
悩みがあるけ、もうこの歳でどどうしようもない・・・
このように、諦めのような日々を送っていては、どんどん負のスパイラルに陥っていくだけです。
なんとかこの状態から抜け出したい! この状態を打開したい! と思うのであれば、
「今、私は転機にいる」と、自覚してください。
そして、どうしてこういう状況になったのかを考えてみてください。
原因があって結果がある。またそれが原因となって結果になる。途絶えることなく続いていくのが人生です。
立ち止って、振り返って考える。それも拘りを捨て正直に。必ず原因と思われることが見つかるはずです。
例えば、友人のあの一言で・・・、あのときの自分の不始末で・・・、あの病で・・・、と、いった出来事や、
昨今の風潮で・・・、温暖化の影響で・・・、コロナの流行で・・・、といった事象。
それらが原因して、それまであたりまえとしていたことが終わり、不安を抱き苦悩することになったと、正しく理解しましょう。
ここが重要なことで、現状を正確に受け止め理解しなければ出口のない暗いトンネルの中で、永遠に彷徨うことになります。
病と同じです。
自然治癒ということも稀にありますが、重い症状であればあるほど原因を早く突き止めて、治療を施さなくてはなりません。
放って置くと手遅れという事態になるからです。
あの出来事や事象によって、 あのことが終わり、 こうしてこの不安や苦悩な時期を暮らしている・・・と
原因や今の自分を正しく理解できれば、散らかしている自分の気持ちの整理整頓ができ、この先の自分の進みたい目標を定め、
そのグランドデザインの制作といった新しい始まりへの時期に正しく進むことができます。
当然、軌道修正ややり直しはきくのですから、躊躇する必要はありません。
それでは。転機をひも解いていきます。
転機はひとつの出来事や事象ではなく、次の3つの時期に分かれています。
➡ 何かが終わる時期
➡ 不安や苦悩の時期
➡ 新しい始まりへの時期
一般的な例
➡ 健康、会社勤め
➡ 苦慮、模索
➡ グランドデザイン
みなさんもそれぞれに、ご自分の環境や生活を連想してみてください。
この主人公の野村正行の場合は下記のようになります。
➡ 事業に失敗
➡ ヒモにあまんじた生活
➡ 妻への依存からの脱却
「わくらば」は不安や苦悩の時期から新しい始まりへの時期を、十日余りのなかで、過去の記憶を挟みながら、ひとつのストーリーに仕立てました。
「わくらば」の一節 (22頁)、日々、厭世観(えんせいかん)に囚われて生活している主人公の正行に、昔の仲間の浅井が言う。
浅井:「なぁ、大阪に帰っておいでぇや。時間は戻せんでも、やり直しはきくで」と、正行を元気づける。
ここが、不安や苦悩の時期を過ごす正行に、浅井が寄り添い、新しい始まりへの時期に進める要因を作ったポイントとなる場面です。
「わくらば」の一節 (319頁)から、
正行は大阪で、かつての友人や縁のある人たちと再会し、人生の大事なものに気づいていく。
数日後、東京に戻り、前向きな日々送り始めるその矢先、縁のある井奥参議院議員から正行の才能を見込んだ誘いを受ける。
井奥:「確かに国会議員政策担当秘書の試験は国家公務員総合職試験と同じように難かしい。 ―― 公設秘書をしながら少しずつでも勉強して、チャレンジは急いでやらんでもええ」
と、井奥からの誘いを、躊躇するも正行は有難く受け、自分の将来を諦めず、リカレント(再学習)を決意して、新たなチャレンジに挑む。という、流れです。
ここを私は、新しい始まりへの時期のスタートとしました。
この期間に、次々起こる出来事によって、正行の心に変化が生まれてきます。
「わくらば」の主人公と登場人物との絡みや、再会を通して変化する心境などから、正行は転機をどう乗り切ったかを、読み解いていただき、みなさんのヒントとして欲しいと思います。
それでは、ご自身の答えへと導く、気づきやヒントについてお話していきます。
如何に転機の3つの時期を正しく経て、自分らしいセカンドライフへと進むプロセスでの、
メソッド ~気づきやヒントを「わくらば」の一節を引用しながら、1)から9)の項目に
沿って、解説していきます。
「わくらば」はあくまで小説として描いていますので、カタルシス効果(心の奥に抑えている
マイナスの感情を解放して、読者の気持ちをスッキリさせる)を得るために、ディフォルメしています。
そこをお含み取りいただければ幸いです。
私の場合の幸せとは何? と、自分に問いかけてみました。
贅沢三昧の生活か? いや、お金はあるに越したことはないが、生活に必要な額のお金があればいいと思う。
子供に金を残しても私がいい例で、財産なんてハンコひとつで無くなってしまう。
それよりも、稼ぐ力をつけてやることだと、子供が望む教育にはできるだけのことをしたつもりです。
子供から見れば、どう見ても、私の人生の前半や中盤は褒められたものではなかったと思うでしょう。
そうだとしたら、徳とは言えないまでも、「親父の人生の後半は、親父なりにささやかながら、世の中のためにいいことをしていたよなぁ」と、記憶に残してやりたいと思うのは、子供に対する見栄でなく、父親としての改悛の意もあって想うことです。
地位や名誉? いや、もうこの歳だし、自尊心や他人に虚栄をはることを考えるだけでも、ほとほと心が疲れます。
と、まあ、取り留めもなくこんな感じのことが頭に浮かんできます。
みなさんにとっての 幸せとは、なんですか?
金銭欲、名誉欲を満たすことと幸福感を得ることとは、同じとは限らない。
そう考えるのは、私だけではないという、データーがあります。
毎年3月20日の「国際幸福デー」に公表される、世界幸福度ランキングってあるのをご存知ですか?
これは国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSB)が150ヵ国以上を対象に行っている調査で、2012年から実施されています。
昨年(2021年)の発表で、日本は何位だったと思われますか?
こともあろうに、日本はGDPで世界第3位、一人当たりのGDPにしても24位でありながら世界幸福度調査の結果は 56位です。
ですから、経済的に豊かであれば、幸せだとは一概にはいえない。むしろ、違うところにあるのでは? とさえ思えます。
そこで、見つけたのが、相田みつをさんの、「幸せはいつもじぶんの心がきめる」 という言葉です。
本当にその通りだと思いました。
そして、相田さんは本当のご自分を知っていた。だからこそ、相田さんの言葉には人の心に突き刺さる何かがあるのだと感じました。
これは毎日、静かに自分を客観視する、いい習慣になっています。
そうすると、いろいろ自分が見えてくるというか、気づくんです。
とりとめのない日常の中でのことが脳裏に浮かんで、「いい自分」と「そうでない自分」の、「ごっちゃ混ぜの自分」を、客観視しているんです。
こうして、自分に向かい合う習慣がつくと、仏壇の前でなくても、何かあると、いろいろ気づきがあります。
2.悪い気分は早く切換えて、いい気分の連鎖を続ける。
つい横着したり焦ったりして何か失敗すると、自分がやらかしておいて、勝手にイライラする・・・、
それがすぐに止まればいいのですが、どこかでずっと引き摺っていて、誰かと話しているときや、車の運転中などで、たまたま気に入らないことがあったりすると、「あ~ぁ、またやってしまった」って、ことになります。
元を正せば、自分のささいなことが発端なのに、心に余裕がないその結果、「俺はまだまだだなぁ~」って、落ち込みますね。
これは悪い連鎖ですが、いい連鎖もあります。
例えば、溜めていた洗濯を思い切ってするとか、嫌なゴミ出しをきちんと分別して出すと、重苦しかった気分がパッと晴れて、そのあと、気持ちがいいんです。
気持ちがいいと不思議と余裕が出てきて、外出時、マンションの清掃をしてくれている方にすれ違いざまに、「ありがとうございます」と、挨拶したら、にこやかな表情で、いい返事が帰って来きました。
ますます気持ちよくなりました。
悪い気分は早く切換えて、いい気分の連鎖は続ける。 これだ! と、気づきました。
3.幸せな気持ちになるコツを身につける。
また、こんなこともありました。
あるとき、憂欝な気分で電車に乗っていると、激しく泣いている赤ちゃんを抱いている若いお母さんがいて、「なんだよ」と、いう気持ちで視線をやると、周りを気にしてか、汗を流しながら必死な形相で、赤ちゃんをあやしているんです。
ふと、このお母さんが私の娘で、この赤ちゃんが孫だったらなんて思うと、気の毒になって、「赤ちゃんも暑いのかなぁ~」って、笑顔をつくって話しかけると、そのお母さんの形相が、にこやかな表情に変ったんです。
周りの空気も幾分和んだようで、私の憂鬱だった気分もどっかに行って、少し嬉しい気持ちになりました。
ちょっとした思い遣りで、たったひとつかけた 言葉で、です。
人にやさしく接すると、自分に帰って来る。 これも、幸せな気持ちになるコツだと、実感しました。
みなさんにも、そんな経験はないですか?
わくらば」の一節 (229頁)から、数年ぶりに故郷に帰り、正行は名づけ親の和尚を訪ねたときのふたりの会話です。
和尚:「昔、オマエの父さんが『人はどうしたら幸せに生きることができるのか』と、ワシに訊ねたんや」
私は、数少ない両親の若いころの話を寄せ集め、その情景を思い浮かべた。
(中略)
和尚:「この世は生まれて悩み苦しんで死んでいく修行の場や、ワシら仏に仕える者として、人を苦しみから少しでも救わんとするけ
ど容易ではない。ただ言えることは、常に自分に向かい合って、己の執着や拘りを捨てて徳を積む。自分本来の正しき心に身を委ねて日々を生きる。難しいか?」
正行:「理解できるけど、何かの機会に思い出すことはできても、毎日それをずっと思いながら生活するのは“言うが易し行うが難し”ですよ」
和尚:「オマエ、理屈だけはよう知ってるんやな」
正行:「すんません」
和尚:「ほな、毎日決まったこと、あるやろ? 朝起きて歯を磨いて顔を洗うとか、風呂や食事やいろいろ、その毎日の決まったことを、心を落ちつかせて、ていねいに、ていねいにするねん。ばらばらやったらアカンねんで。毎日、同じことを同じように、感謝の気持ちを込めて」
正行:「誰に感謝するんですか?」
和尚:「それは誰にでもええ、お日様でもなんにでもかまへん。それを怠けたり手を抜いたりせんと続けるだけで、心の持ちようが変る。すなわち正しい行いを重ねることで、心に仏が宿って本来の自分の姿を見つけられる。これが幸せになる近道や。オマエのお父さんにそないに答えた」
そう言って和尚は私に微笑んだ。
ここには、私は2つの想いを込めています。
まず、1つめは、正行は父親と母親が昔、ふたりして和尚を訪ねてきたことを始めて聞いた。
父親は親の勘当にも屈せず結婚したものの、大学に通いながら妻と子三人の暮らしので、 経済的にも精神的にも追い込まれていました。
父親は苦悶する日々、幸せとは何か? その答えを和尚に求めたのだった。
正行はそれを聞き、今では疎遠になってしまった父の、その当時の心境をどう想像したのか? 正行が小学生のときに両親が離婚、そこで否応なく正行の人生が大きく変わる転機となるのですが、父親と自分を重ね合わせ何を感じ、この後に起こる出来事で気づきが確信に変化していきます。
私はこの場では正行の心境を明確にしていませんが、ここが大きなポイントとなります。
父親の歩んだ人生の時を十九年隔てて父と同じ道を歩いている・・・、と正行は実感じたのか、否か?
答えを先に言ってしまいますと否です。
しかし、何らかの内的変容があります。自分にとって不都合なことをコンクリートして心の奥に仕舞っているものに何となく気づきだします。
みなさんも、何か想うことがあったら、男性なら父親、女性なら母親が過ごした自分と同じ歳頃の心境を想像して、重ね合わせてみてください。
必ず、何か気づくものがあるはずです。
あえて、父親への心境も詳しく描いていませんが、正行の息子への想いや行動で、正行の無意識に父親が内在していることや、ストーリーが進むに従って、正行の父親としての心境が大きく変化していく。
そこを読み取っていただくと、親と子の絆を知るヒントに繋がると思います。
詳しくは、“「わくらば」に込めた想い part2 人として父して” で、お話させていただきます。
それでは、“人生百年時代を見すえて、生き方を考える”に話を戻します。
私は、朝夕に両親の仏前で手を合わせると、今の自分の歳と同じ父の姿、母の姿をよく想い浮かべます。
そしてそのころの自分は何をしていたか・・・、父や母に孝行していなかったことを詫びます。
また、父や母に対して、自分の心境を思い出して感謝することもありますが、私に十分でなかったことなどには文句を言っています。
そして、今度は我が子のことを想います・・・
と、まぁこんな感じで静かに自らを諦観しています。
2つめ、1つめで、「わたしの4つの習慣」から少し脱線してしましましたので、元に戻します。
4.心にゆとりをもつ
文中、和尚が正行に諭すセリフにある「心に仏が宿る」の部分・・・
先ほど、溜まっていた洗濯物の話をしましたが、実は、まだそのあとがあるんです。
私は乾燥機より太陽の陽にあてる方が気持ちいいので、梅雨でないかぎり洗濯物をベランダで干します。
特に、寒い冬や時間のない時、長袖シャツやセーターなどの左右の袖が、表と裏がチグハグだと、手を通して裏返すのですが、冷たくて嫌ですね、腹も立ってきます。
そんなとき、和尚のセリフの、「この世は修行の場、―― 毎日の決まったことを、心を落ちつかせ、ていねいに、ていねいにするねん」を、頭に浮かべて、大きく息をついて、ていねいに広げて干します。
それも、日の当たり具合や風の通り方を考え、仕分けしながら同じ種類を揃えて、決まった位置に、心を落ち着かせ、ていねいに、ていねいに・・・。
もう何回、「ていねい」を言いましたか、少々くどいですね・・・(笑)
干し終えたら、洗濯物の整った様を見て、気になるところは並べ替える。
得心したら、おもむろに籠を持って室内に入る。
その後、椅子に座って、コーヒーを飲みながら修行を終えた充実感を味わう。
と、まぁこんな具合です。
こんなゆとりを持ったときを、「心に仏がやどる」と、和尚は言ったのではないでしょうか。
家事を奥さまに委ねている方は、洗濯物に限らず、せめてひとつくらい家事の何かを決めて、自分に与えられた修行と心得て、やってみてはいかがですか?
奥さまは、旦那さんに、「修行になるから」と言って、させて下さい!
きっといい変化がありますよ!
1.静かに客観視する。
2.悪い気分は早く切換えて、いい気分の連鎖を続ける。
3.幸せな気持ちになるコツを身につける。
4.心にゆとりをもつ
以上が、わたしの4つの習慣です。
この習慣も、みなさんの日常で、無理なくできる範囲で自分に合ったものを選んでください、数も自由です。
ポイントは、仕方なくやっていることや、気になりながらでもつい苦手で、後回しにしがちなことを選ばれると効果的です。
そうそう、このわたしの4つの習慣を身に付ける上で、私が心掛けているポイントをひとつお教えしましょう。
言霊(ことだま)という言葉をお聞きになった方は多いと思いますが、いかがですか?
言葉に内在する霊力によって、古代の人は言葉を発するとそのとおりになっていくと信じていたと、私は理解しているのですが、そんなことはないとしても、日々の心境やイメージを思いついた言葉にしています。
例えば、友人の話を聞いていてネガティブな気分になったら、そのままにしないで、どうしてそんな気分になったのか? ひょっとしたら「嫉妬」なのか? と、そのときの気分や気持ちをひとつの言葉にします。そして、その意味を調べます。
広辞苑で「嫉妬」を調べると、①自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。「弟の才能に―する」「出世した友人を―する」 ②自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。りんき。やきもち。島崎藤村、藁草履「―は一種の苦痛です」。「妻の―」と、出てきます。
そのときの感情が「嫉妬」という言葉に当てはまれば、そうした感情はあまり褒められたものでもないなぁ・・・、と、反省すればいい。
当てはまらないときは、また違う言葉を探す。
「違和感」かなぁ? と、思えば、また調べてみる。
同じく広辞苑で調べると、ちぐはぐな感じ。「都会の生活に―を覚える」と、出てきます。
あぁ、これだ! 彼の話しというか、そもそも彼の考えには同意しかねていた。人はそれぞれなのだから致し方ないと、納得すれば不快な気持ちも晴れ、尾を引くことも無い。
言葉にすると、客観的に自分を見ることができ、脳が意識することでその後、同じようなことがあってもネガティブ気持ちにならないですみます。
どうでしょう? ご参考になりませんか?
それでは次の項目に進みます。
日々の生活で習慣が身につくと、学習能力というか、コツを覚えれば、感情はコントロールできることに気づきます。
その後はその成功体験を意識することで、持続させることができます。
しかし、それでは完全だとは言えません。
コツを能力にさらに向上させなければなりません。
そこでのポイントは、「ゆとり」です。
「ゆとり」のある自分は、明らかに「いい自分」ですから、そこで、感情をコントロールする自分独自のスイッチを作ってください。
スイッチとは、リミットが来たときに作動する心の切換機です。
深呼吸を十回するとか、手痛い失敗を思い出すとか、自分独自のものです。
ここで重要なのは感情に走る欠点を消去ではなく、存在を理解した上で、適時その心を律するようにトライを重ね、それが習慣となると、感情をコントロールできる、「更なるいい自分」になります。
自惚れではありません。本来人間が持ち合わせている向上心です。
現実に自身が自分の感情をコントロールして、穏やかに自分や周りを見て得た感情ですから、それは自惚れではない正しい感情です。
人間には本能的な欲求があり、動物が持つ原始的な欲求から人間しか持ち合わせない高いレベルの欲求があり、ステップアップしていきます。
詳しくは自己実現で触れます。
それでは、この「わくらばの」の主人公、正行は自分の脳内に安全装置を埋め込みました。という件(くだり)をご参考にしてください。
「わくらば」の一節 (297頁) から、正行が不安を抱きながら母からの電話を待つ場面です。
周りを見てもまだ狭いホテルの部屋だ。リアルすぎる夢はやはり夢。記憶にないことがらは、幼いころに理解できないまま潜在していたものなのか、それともこれは予知か惨めな願望なのか――。結局、母から電話はなかった。
切り捨てられたと感じた瞬間 パッ!と、せん光を発して心のヒューズが飛んだ。
もうひとつ、「わくらば」の一節 (309頁) から、生活費が底をつく・・・正行は背に腹は変えられないと、プライドを捨て、近所のガソリンスタンドでアルバイトを始めが、それを一番知られたくない息子の中学校のPTA会長の水沢が客として現れた、その場面。
水沢:「ここのオーナーは親戚でさぁ。ふだんから、『ろくでもない人間しか来ない』って、ボヤクからさぁ、『ケチって給料をまともに払わないからだよ』って、言ってやってんの。いやぁ驚いた。野村さんが親戚のスタンドでバイトしてるって聞いたら、さぞかし驚く父兄も多いんじゃないかな」
と、わざわざ私の横に来て言った。人を見下して何が嬉しいというのだ。
ここの従業員もバイトも真面目な人ばかりだ。何も取り立てて彼が私を恨むようなことがあったわけではない。あえて考えると小学校のPTAに出たときの役員の男性は私と彼だけで、校長を交えた会議で彼より少しまともな発言をしたことと、懇談会のときだったか、最終学歴を語る場で彼が私を嫉視(しっし)する場があった、そのくらいで、それもまったく取るに足りないことだ。
水沢:「よりのよって、よくこんなところでバイトしてるよね。まぁ、オーナーのために励んでやって、野村さん」
この糞野郎と思った瞬間、パチン!と、音を立てて心の内のブレーカーが落ちた。
続けて、「わくらば」の一節 (312頁)から、その後の、息子の輝との会話の場面です。
正行:「――。あぁ、それと気になっていたんやけど、長沢君から父ちゃんのバイトのことで、何か言われてないか?」
輝 :「ああ、それ、言われたよ。嬉しそうに言ってきた、ちょうど部活の休憩のときだったから、みんなの前で、『うちの親父、あの歳でガソリンスタンドのバイト頑張ってるけど、キツイってよ』って、皆に聞えるように言ったら、黙ってしまった」
正行:「そうか、それで輝は悔しかったか?」
輝 :「別に、恥ずかしそうにすると、かえってつけあがるし、何も恥ずかしいことじゃないじゃん、マジで。それより父ちゃんのほうが、水沢の親父に知られてショックだったろう?」
正行:「あぁ、ショックもショック、大ショック。でもさぁ、あの調子でグダグダ嫌味言われても、大きく息をひとつして、体内安全装置を作動したらそれで終了」
輝 :「何、体内安全装置って?」
正行:「感情コントロールの装置だよ。変な拘りをシャッタアウトするから。どうや、名案やろ」
輝 :「サイボーグか?」
と、輝は笑いながら食器を流しに運んでいた。無理はしていない様子なので私は安堵した。
こでのポイントは感情の切換えです。
辛くて耐えられない・・・ 怒りを抑えられない・・・
ここで、感情を切換えなければどんどんマイナス・スパイラルに落ち込んでしまう。
そうしたことは誰にでも起こります。
さすがにこのレベルは危険レベルだ、でも大丈夫! と、自己暗示して、私には「脳内安全装置」がある、と、気持ちを切換える。
ほら作動した! と、このように自分と対話するんです。
これも、習慣づけで、できることです。
それに、ペギー葉山さんの「ケ・セラ・セラ」の歌を口ずさめれば、完璧です!
正行は感情をコントロールして、母への落胆やプライドの喪失という、ネガティブな感情を克服することができた。
それはまた、息子の輝にまでいい影響を及ぼしています。
こうした感情コントロールによって少しずつ自分の心の中で、「いい自分」すなわち「好きな自分」が増していきます。
心に宿る仏心(ほとけごころ)や「いい自分」「好きな自分」を善玉 = 長所として、鬼心(おにごころ)だとちょっと変ですが、「悪い自分」「嫌いな自分」を悪玉 = 短所としますと、腸に宿る腸内細菌の善玉菌、悪玉菌のイメージで、理解しやすいと思います。
ここで大切なのは、何度も言いますが、悪玉を消去するのではなく、悪玉の存在を知った上で、抑制するということです。
ムリに消去しようとすると、自分を自己否定することになり、返って副作用やストレスが出て危険です。
先ほどの、感情をコントロールで話しました、感情に走る欠点を律するということと、同じです。
感情をコントロールしていると、いつも穏やかでいられるようになってきます。
すると、心の安らぎに関与するセロトニン、幸福感に関与する脳内ホルモンのエンドルフィン、愛情ホルモンのオキシトシンが分泌されます。
どうですか? 少しトライしようという気持ちになりましたか?
3)感情をコントロールする で、「いい自分」「好きな自分」が増していく。と言いましたが、これは正に「自己肯定感」です。
自己肯定感とは、自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉です。 (出典 実用日本語表現辞典)
簡単に言うと、自分自身を尊重してポジティブに捉える、そうした感情です。
誰かと比べて、いいとかダメだとか、という比較するものではありません。
ご理解いただけましたか?
この自己肯定感を理解いただけると、より自分を見ることが可能となります。
自己肯定感が高いと、善玉となって自分自身への信頼や安心感を持って前向きな力を与えますが、逆に低いと、悪玉の作用が強くなり、自分に自信が持てなくて、失敗を恐れてトライもしないで避けてしまう、ということになってしまいます。
あなたは、どうですか?
自分の少しのミスでも自分はダメだと、自身の人間性まで否定してしまう。そのため、チャンスが来ても、自分には無理と、反射的に否定してしまい、挙句には向上心まで失ってしまいます。
それによって自分自身はおろか、身の回りに起こることも、客観的に見ることができなくなります。
いわゆる劣等感で、コンプレックスの一部(※)です。
※ インフェリオリティーコンプレックス(inferiority complex)は、コンプレックスの下位区分のひとつであり、「自分が他より劣っているという感情と結びつく複合的な心的表象」のことである。(出典:実用日本語表現辞典)
「わくらば」の一節(12頁)に、正行が叔父たちについて語っています。
双子の叔父たちは事業を発展拡大するという才どころかその意思、すなわち向上心の欠片すら持ち合わせていない。
長女の母のような社会観は微塵もなく、学校の教科書を家で開いたこともない二人は、中学校を出ても高校へ進学しなかった。
この時代、中学卒業後には半数以上が就職や家事手伝い、高校へ進学しても大学に進学する者はほんの一握りであったため、彼らはそう特別でもなく、逆に母のほうが特別だった。
二人とも近所で所帯を持っているが、揃って専横な性格は周知で、身内の私でさえ顔を合わせたくもない。
土方の仕事といってももともと技術を持っているわけでもなく、ニッカボッカに地下足袋と一丁前の格好をしているが、十年たっても玉掛けひとつろくにできないありさま。
そのくせ社長の身内をひけらかし叔父の社長のみならず、実質経営を仕切っている従兄の専務も彼らに手を焼いていた。
(中略)
村の外に出て他人に気を使いながら労働せずとも、適当に身内の土木作業の単純作業をこなしていれば十分生計が成り立つ。
夫婦で親の財産に執着し依存する生活で、金に困れば親に無心する。自力で生きていく世間常識など失せてしまっているというか、元々ないのだ。
きっとこの叔父たちは一生この村から離れて生活することはないだろうし、できないだろう。それが許される環境であること羨ましいが、逆に哀れにも思った。
自己肯定感が低くなると自分自身に自信が持てなくなり、内向きになって何事も消極的になります。それでもそれをきちんと自覚している人ならまだいいのですが、この「わくらば」の正行の叔父 たちはそうではありません。
なぜそうなったかについては別に触れますが、学業に励まない、広い社会に出て働かないなどと、最初から何事にもチャレンジしない。 また、それに対して考え悩むことすらしないのです。
自分の不都合な意識を無意識(潜在意識)に閉じ込めてしまって自覚していないのです。これは厄介です。この対処はこのあとの潜在意識と個人的無意識・集合的無意識でお話しするとして、次の項目でも叔父たちを例にとってお話しますので、本題に戻ります。
それでは、自己肯定感を高めるにはどうすればいいのか?
恐縮ですが、答えはやはり、自分の心の中にある 善玉と悪玉に気づいて、善玉を促進し悪玉を抑制するということです。
自分を知るほかに、正解も特効薬もありません。
「自分を好きになる」上で、依存心や劣等感があればどうでしょう?
決して自分を好きになれることはありませんよね。
多少に限らず、誰もが持ち合わせているこの依存心や劣等感を解明しなければ前へ進むことができませんので、少し理論的になりますがご辛抱ください。
本来人間には5段階の欲求があり、その欲求を一段ずつ満たしていくにつれ、自分を極めていきます。
詳しくは最後の9)自己実現で説明しますが、第4段階に承認欲求というのがあります。
この承認欲求は他人から認められたいという他者承認と、自分を自分で認めたいという自己承認の2つに分けることができます。
他者承認について、「わくらば」の一節(124頁)から引用します。
主人公の正行は就職し、功績を認められて専務が興した新会社の大阪責任者に抜擢された場面です。
私は視線を外さず聞いていた。驚いた、私が抜擢されたことの高揚感で体中がカッと熱くなった。同時に、少し謙虚さを見せねばという打算が働いた。
正行:「突然なので驚いています。とても嬉しいのですが、私にはリゾートの知恵も経験もありません。それでも勤まるでしょうか?」
社長:「君は入社前にマンション販売の知識や経験があったかね?」
正行:「いいえ」
社長:「なら、マンション販売と同じようにやることだな」
ビシッと、言われてしまった。消沈する。
この主人公、正行の謙虚さを見せようという狡猾な意識は、他人から認めて欲しいという他者承認が強く働いた、悪玉が招いた失敗です。
しかし、このくらいの事ならまだマシで、私の危惧したいのは、冒頭申し上げた自己承認の弱い人の傾向にある劣等感と、他者承認が強い人の傾向に多い依存心です。
他者承認が強いと、どうして依存心が強くなるの? と、疑問を持たれる方がいると思いますので、例えると、子供のように親に自分を認めて欲しい・・・、裏を返せば、親が居なければ生きて行けないという依存する心理です。
この意識が強いままで大人になれば、どうでしょう?
自立できませんね。
それは親子に限らず、同じようなことが、恋人、夫婦、友人などの人間関係全般に及びます。明らかに悪玉です。
みなさん、想像してください。恋愛関係でよく揉める原因にこの存在があります。
依存心が変化した束縛、しつこく付き纏う執着心、嫉妬心などなど・・・これは、自己肯定感でもお話しました、誰にでも内在するもので、「わくらば」のテーマである、人生の最大の転機をどう乗り切り、自分らしくセカンドライフをどう生きるか? その、一番の障壁になる存在だと、認識していただきたいと思います。
それでは、他者承認が強いとおきる依存心の例として、「わくらば」の一節 (175頁)を引用します。
正行は社長から資金調達に動けと命じられる。それを後に妻になったユリに話す場面。
ユリ:「具体的に社長からなにをどうしろと言われたの、はっきり言って!」
と、ストレートに聞いてきた。
正行:「ニ十五億の資金調達をしろと」
ユリ:「どうしてアナタが?」
正行:「社長と専務が東京の銀行とやっているんだけど、苦戦していて、僕にも大阪に帰って心当たりに動けって、 無理もいいとこで、こんな若造を捕まえて、ねぇ、ユリさん」
私は同意を求めたが、彼女は無反応だった。
ユリ:「なんのお金?」
正行:「関西のゴルフ場、一次募集の入金があるまでに用地の決済金を払わないといけなくなったって」
ユリ:「ふーん、動いてんのは銀行だけ? だったら――」
ユリさんは小指をピンと撥ねた持ち方でストローを抓まんでアイスティーを飲むと、
ユリ:「生保や損保、それにリース会社やファイナンス会社もあればファンドもあるわよ。私がアルバイトをしていた航空機会社なんて、そこからうまく調達していたわよ」
正行:「なら、そんなところのお知り合いがあったら紹介して」
ユリ:「何を言ってんの、アナタのお仕事でしょう? 自分でリース会社やファイナンス会社を当たってみなさいよ。貸付担当者なんて誰も新規取引先を探しているんだから」
正行:「そう言われても、僕にはまったく知合いなんかないから」
ユリ:「あのねぇー、アナタ、依存心けっこう強いのね? そんなの、電話帳で調べればいいし、金融コンサルタント に手数料を払う気があるのだったら、いくらでも成功報酬で動く人間いるわよ」
(中略)
ユリ:「もういい加減にしなさい。アナタに付き合いなくても、周りの人に聞いてみたら、意外にどっかで知り合いがいたりするものよ」
なるほど、私はさっきから頷いてばかりいる。
手数料を払うと動くブローカーは大勢いると彼女は言うが、何十億という大金を扱うようなブローカーなんて私には本当に心当たりがない。
正行:「当たってみるけど、もしかして、ユリさんの友人で大阪にそんな人は?」
ユリ:「もうそれ以上言ったら駄目! 私をがっかりさせないで。まずは自分で動くこと。依存するっていうのはやらない事と同じだから」
この執拗なまでの正行の依存心は、他者承認が強すぎることがもたらすもので、人に接すると、真っ先に、依存=利用という思考が働き、人間関係にも悪い影響を おこす悪玉となります。
自己肯定感で、さきほど引用した正行の叔父たちをもう一度、考えてください。
自己承認の弱い人の傾向にある劣等感についてお話します。
両親や周囲の人、自分の帰属する村の住人に認められたい。
しかし自分に自信がなく、自立して外の世界に行くこともできない。大きなストレスであり絶望感でもあります。
その自分にとって絶対に認めたくない不都合の自己承認の弱さは、劣等感となり、潜在意識(無意識)に追いやってしまう。さらに他者承認は依存心として、両親や仕事先の身内に向けられている叔父たち・・・
あくまで私の個人的な考えですが、自己肯定感の低さと承認欲求の低さは共通の意味を持ちます。
みなさんが自分に向き合って考えるときに、巷の自己啓発の書籍やセミナーで溢れる理論や語句を鵜呑みにするのではなく、自分の考えを基にして、それら理論を使って整理し納得することも、正しく自分と向き合うことに必要だと、私は考えます。
「自分を好きになる」上で、依存心や劣等感が障壁になると申しましたが、拘りと偏見も同じです。
それでは、自己肯定感でお話しました正行の叔父たちの続きをお話しましょう。
自分の不都合な意識を無意識(潜在意識)に閉じ込めてしまって自覚がない。
これは厄介だと、言った件(くだり)です。
(左の氷の図を見てください)
日常、私たちが見える部分、意識できる状態をいう顕在意識に対して、水に沈んで見えない部分の潜在意識は心の奥にあって、気づかない意識をさします。
この潜在意識こそが、人間の行動の90数パーセントをコントロールすると言われています。
潜在意識が言動や思考に焦点をあてているのに対し、無意識は行動の方に焦点をあてているという専門家もいますが私の荒っぽい持論ですが、そう厳密に考えなくても、潜在意識と無意識は同じだと理解して差し支えないと思います。
(右の図を見てください)
尖がった山のひとつが個人、その下のピンクの部分が集団と理解してください。
この無意識は、個人がこれまで経験した感情や思考による個人的無意識、すべての人間が共通して持つ普遍的な集合的無意識からなります。
個人的無意識は自我の不快な記憶や苦痛を伴う欲求から、自らを防衛する働きも、持っています一方、幸福な感情を呼び覚ますなど肯定的な働きも兼ね備えています。
悪玉として懸念されることは、この個人的無意識は時として、自分に都合よく現実を歪めたり、顕在意識から不都合なことを潜在意識(個人的無意識)に押し込めたりします。私がいう拘りと偏見です。
「わくらば」の一節 (256頁)から、正行が大阪に帰り、母の従弟の岡田満に会い、祖母や叔父たちのことを聞く場面。
「―― 後妻の婆さんかて、飛田の女郎あがりの妾やいうて親戚一同、蔑(さげす)んで誰も寄りつかへん。ましてや、小さな双子を抱いて溝口の家に入ったんやから、そらぁ捻(ひね)くれるで。そないに考えたら、それなりに皆、いろいろ持っとるんやで」
叔父たちは自分の母が飛田新地の女郎出身で、妾の子であることに大きな劣等感を 持っていたが、未だ幼かったため、その記憶を個人的無意識に追いやり、無気力と強い依存心となった。
「わくらば」の一節 (82頁)から、安住の地とし、幸せを噛みしめる・・・正行と恋人だった綾子との若き日の同棲生活、その記憶を辿る場面。
綾子はていねいに鍋の灰汁をとり、私によそうばかり。私は箸を止めて綾子を見た。
正行:「どうしたの、まずいの?」
と、綾子は私に聞いた。私は静かに首を左右に振って言った。
正行:「なぁ、綾ちゃん、綾ちゃんはこうして俺と付き合って、幸せか?」
綾子:「急にどうしたの、正さんは幸せじゃないの?」
これまで淡い恋愛やデートの相手はいたが、それは互い慈しむ心が伴ったものではなかったように思う。
器用に合わせることができても、私は相手の愛情を素直に受け入れられない捻くれ者だった。
綾子:「正さんが幸せだったら、私も幸せよ」
頬を紅く染めて綾子は言った。
正行:「大学出たら、俺は絶対出世して綾ちゃんにええ暮らしさしたる。約束する」
私はこれまで寂しいときは、上を向いて耐えてきた。小学校のころ、近くの公園で遊んでいると、友達は夕時になれば蜘蛛の子を散らすように温かい母がこさえた夕餉(ゆうげ)へと帰るが、私は最後まで残って、しかたなく一人誰もいない家に帰っていく。
人は幸福と不幸が均等にあるなら、死ぬまでには帳尻が合うはず。
神様は小さい幸福を与えるには、まずは小さい不幸を与え、大きい幸福を与えるには、大きい不幸を与える。
だから私には必ず大きい幸福が待っている。この想いを持つことで不満や怒り、妬み、潜在的劣等感から自分を救ってきた。
幼心に、きっと日々の苦しさは明日の幸せに変わる。
そう信じなければ正直、生きて居られなかった。
そう理解することで苦しい環境を耐える糧として、子供が頑なまでにその想いに縋(すが)る姿は、大人になって思い返せば我ながら不憫と言わざるをえない。
しかし、それをもって何よりも自我を優先することは、歪んだ向上心であるか否か・・・、そのころの私は知る由もなかった。
綾子:「私はこれでいいの、怯(お)びんたれやから大きいことようせんの。だから普通でいいの・・・」
(中略)
それは私にも理解できるし、よっぽど私より心が自立している。だが、それだからといって、私に大きな夢を託し、今より高見を願わないのにはがっかりする。
おまけに 私がやろうとすることにケチはつけないまでも、必ず無理しないでと言う。
私が気合を入れて前に進もうとする矢先に冷や水をかけられたような気にもなり、足を引っ張られているような妄想さえ抱くときがある。
綾子には向上心や野心はないのかと、言いたくなる。さりとて、それをうまく表現して綾子を傷つけないように導けない、隔靴掻痒(かっかそうよう)もいいとこだ。
また今日もかと、すでに苛立っている。
正行の独善的ともいえるこの拘りは、個人的無意識からくるもので、一見整合性がとれているように見えるが、自分の受けた不快な記憶や気持ちなどを歪曲し、個人的無意識に閉じ込めた悪玉です。
しかし、幼少期や思春期に於いては、逆境を支えるために必然であって、ここでそれに負けていれば反社会的、あるいは自傷的行為に至っていても不思議ではありません。
だが、正行は自己肯定感の強い綾子の思考に触れると、自分を全面否定されていると受け取り強い反発を覚えてしまいます。
綾子の「私はこれでいいの、怯(お)びんたれやから大きいことようせんの。だから普通でいいの・・・」 の、 セリフは、ありのままの自分を受け入れている寛容な綾子に対して、残念ながら、この時点での正行は個人的無意識に あるコンプレックスからくる悪玉をまだ認知していないという状況でした。
集合的無意識は個人的無意識のまだ奥にある、すべての人間が共通して持つ普遍的無意識です。
例えば、明るくなれば朝、夜には月や星が出る、春になれば陽気になる、子どもは外で元気に遊ぶ、といったものです。
ただし、これも個人的無意識と同様、時として悪玉になる場合があります。
例えば、アイツは日本人のくせして、とか女なのにとか、集合的無意識から偏った価値観を生み、相手の個性や行動を否定することがあります。これも、拘りと偏見です。
「わくらば」の一節 (78頁)から、両親の離婚、母親の再婚で主人公の正行は 祖父母に預けられた。
母親は祖母の実子ではなく病死した先妻の子、祖父の妾だった祖母が双子の叔父 たちを連れて後添えとして溝口の家に入った。中学生だった正行はその叔父たちに 苛められる場面。
叔父の義和:「正行、オマエみたいなもんがおったら、ワシは村のもんにナリが悪い!」と、酔えば必ず私に向かって同じセリフを臭い息と一緒に吐き捨て、勢次はそれに私の耳元でギリギリと歯ぎしりを加える。抗う術のない私は本当に辛く、ただ耐えるだけだった。
「わくらば」の一節 (256頁)から、先ほどの正行が大阪に帰り、母の従弟の岡田満に会い、祖母や叔父たちのことを聞く場面の続きで、正行は満の話から昔を思い出し、祖母や叔父たちの心情を理解した場面です。
そう言えば、婆さんも叔父達も私に、「村の連中に“ナリ”が悪い!」と、口癖のように言っていた。
彼らは、自身がよそ者という孤立感を持っていたからこそ、“村”を意識せざるを得なかったのか・・・
先の78頁では、叔父達や祖母が、自分たちのコンプレックスを個人的無意識に閉じ込めてしまって、正しい意識で日常を送れていない上に、自分たちが受けている疎外感(村の住人たちから)の原因は、正行の母親の離婚やその子を里に 預ける、いわゆる時代的道徳観が集合的無意識となり、正行やその母親に対して嫌悪を向けている。
その状況を正行はまだ中学生で幼く、客観視(諦観)できておらず、256頁で、正行は50歳を過ぎ、友人や和尚に会い、少しずつ気づきを得て、やっと、叔父たちや祖母を客観視でき、理解することができました。
このような拘りや思い込み、偏見によって、大切な人間関係にも支障をきたすこともあります。
それらをハッキリと認識し、自分自身の心に潜む善玉と悪玉をしっかりと区別することが必要です。
どうですか? みなさんの周りにそんな方は居ませんか?
自分自身より他人の方の方が、客観的に見やすいので分かりやすいと思います。
それでは、ご自身にはどうでしょう?
ご自分の拘りをよく考えてみてください。拘りがあるなら、常識を大きく逸脱していませんか?
心の許せる方と、胸襟を開いて話し合って見るのも、いいものですよ。
それでは次のトピックに行きましょう。
自身を客観視していくと、私の「本当の自分」が少しずつですが見えてきて、感情をコントロールできてくると、ほんの少しですが、「自分らしい自分」に近づいたような気がします。
しかし未だに、馬鹿なことをやってしまったり、相手の尊厳に配慮が欠けたりと、まだまだ至らないところにも気がついて、反省しきりでが・・・
この「自分らしい」は、自分の価値観によって自然体で暮らす状態、すなわち、自分自身の特徴がよく現れていると言えるでしょう。
私はこの「自分らしい」を個性と捉えています。
それを、みなさんにより理解していただきたいと思いますので、心理学者のユングの理論に少し触れたいと思います。
人間の基本的なタイプは、「内向・外向」と「思考」「感情」「感覚」「直観」の組み合わせで14のタイプに分類できると、定義しています。
この「内向・外向」の「内向」(弱い・少ない・低い・不振)を✕で表し「外向」(強い・多い・高い・旺盛)を〇と表すと、以下の表になります。
タイプ |
A |
B |
C |
D |
E |
F |
G |
H |
I |
J |
K |
L |
M |
N |
思 考 |
〇 |
〇 |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
✕ |
✕ |
✕ |
〇 |
✕ |
感 情 |
〇 |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
〇 |
✕ |
✕ |
✕ |
✕ |
✕ |
〇 |
✕ |
✕ |
感 覚 |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
〇 |
✕ |
✕ |
〇 |
✕ |
✕ |
〇 |
✕ |
✕ |
✕ |
直 感 |
〇 |
✕ |
〇 |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
〇 |
✕ |
〇 |
✕ |
✕ |
X |
✕ |
あくまで私のイメージとして例えるなら、「思考」「感情」「感覚」「直感」全て外向のAタイプなら、自己アピールの強い自信家のリーダ的な個性。
全て内向のNタイプなら、本当におとなしい控えめな個性。
「感情」は内向、「思考」「感覚」「直感」は外向なDタイプなら外面は穏やかだが感性の鋭い個性。
「感情」は外向、「思考」「感覚」「直感」は内向なLタイプなら、対外的には積極的だが内心デリケートいった個性。などなど・・・
これらの基本的な14のタイプから、各自の強みを活かし、弱みを自律的に満たして、本来の自分になることをユングは自己実現と表現しました。
そう考えると、個性は基本的には14のタイプだが、明確に「内向・外向」と二分できないゆえ、私は細かなグラデーションのように人間の顔が異なるので、個性は唯一無二ではないかと考えます。
だとすると、スマップの「世界でひとつだけの花」の歌詞、
「もともと特別なオンリーワン」って、共感できますね。 (微笑)
みなさんはどう思いますか?
また、あえて言うなら、どの基本的タイプがあなたに近いと思いますか?
イメージしてみてください。
個性を辞書で調べると、「個人に具(そな)わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格・性質のことを指す。と
広辞苑にあります。
私の持論でが、先天的に生まれ持った性質と、後天的についた意思や感情の性格に、自己実現を意識し歩み出すと、そのプロセスで得た経験知が性格を高め、個性はさらに素晴らしいものになると考えます。
「自分らしい」を知る・・・
すなわち自分の個性を知ることはとても重要ですが、それだけではなく、他人の個性を知ることもさらに重要と考えます。
私がなぜ、実用書ではなく小説にしたかの説明で、読者の方に心に響いてシンパシー(sympathy:同情・共感)を感じてもらいたいという想いからと、説明しました。
その、シンパシーと似た言葉にエンパシー(empathy:感情移入)という言葉があります。
この言葉は自分と違う個性(価値観や理念)の人の気持ちを感じ取る力です。
優劣を比較するのではなく、他人と自分の違いを知る。
その違いこそが個性であり、互い尊重し合うことによって、人との繋がりが生れます。
誰もが互いの個性を尊重し合う。
それは当然のことという私の想で、他とは違う美しさをもつ病葉(わくらば)こそ個性だとし、人との繋がり、思いがけないめぐりあいの邂逅も(わくらば)と読めることから、私はこの小説の題名を「わくらば」としました。
「わくらば」の一節 (223頁)から、転校したての主人公の正行が苛めに合い、落葉を手にして寺の門で佇んでいると、和尚が声をかける場面があります。
和尚:「オマエ、顔腫らして唇からも血が出とるやないか。どないしたんや?」
問われても私は咄嗟に答えることができなかった。
和尚:「庫裏(くり)に入り、赤チンでも塗ったるよって」
正行:「大丈夫」
そう言って私は去ろうとした。
和尚:「待たんかいな!」
和尚の強い声に再び私は驚いて足を止めた。
和尚:「何を持っとんや? そっちの手に持っとるやつ、それ」
その声も優しかった。
私は手の持った三枚の葉を和尚に差し出して見せた。
和尚:「まぁ、座り」
そう言って和尚は作務衣の裾を上げて門の敷居の上に腰を下ろした。
立ち竦んでいた私は言われるままに再び座った。
和尚:「なんでその葉を拾ろたんや?」
返事のしようがなく、私は黙って掌にのせて眺めていた。
和尚:「それはそこの梅の葉や」
和尚は振りかえり本堂横の樹を指した。
その樹は青々とし、生気が漲っている。
私はまた手にした三枚の落葉に目を落した。
薄緑に赤や黄が加わり、むしばんだ跡があるものもあり三枚三様の色合い、綺麗と思って拾ったのだった。
和尚:「その落ちた葉をな、“わくらば”と言うんや。病に葉と書いて“わくらば”と読む。字は悪いけど、どうや、オマエも綺麗と思って拾ろたんと違うのか? ワシは落葉を履きながら綺麗な葉が枝から早う に離れていくのを見て、もったいないと思えてならんのじゃ」
和尚は私の掌の一枚を自分の掌に取って、
和尚:「どうや? 人間もこの葉っぱと同じように他と違うと弾き出されることがある。素晴らしい個性やのになぁ、オマエがこの葉っぱやったらどない思う? 惨めと思うか? 嫌と思うか? そやのうて、自分はこんなに綺麗と自信を持って胸を張れか? 人間やったらその思い方ひとつで、その後の人生が大きくかわってくる」
和尚の話を私はじっと聞いていたが、当時は理解できなかった。
何気なく正行が手にしている病葉を、和尚は人間に例え、周りとの違いは素晴らしい個性だと説く。
自分の個性、他人の個性、この世の中では、一人で生きていけるものではないゆえ、自分の個性をどう捉えるかによって、人生は大きく変わると諭しています。
ある会で縁かあり、私と全く違うタイプの違う人と知合いました。
これまで経てきた環境も大きく違い、あまりにもその違い過ぎに衝撃を受け、じっと見ていると、同意はできずとも個々の発言や考え方に理解できることに気づきました。
さらによく見ると、当然欠点も見えますが、敬意を覚えることや共感することも多々あり、多少ながらその人の善玉と悪玉が見え、それがその人の個性だと捉えることができました。
すると相手も同じように私を見て、私の個性を見届け、ごく自然に親しくなりました。
この歳で互い自立していますので、控えめでバランスの取れた距離感を保ちながら、大人になって得た貴重な友情ですので、大切にしています。
ちなみに彼の口癖は「近所の友は宝物」、奥深い響きを感じます。
この友情の健全な存続は、自分自身の人となりのバロメーターのように思えます。
如何ですか? みなさんにもそのような友人は居ませんか?
この歳になってできる友人は、多くの意味で宝物だと思います。
この実体験から、相手の個性を知ると重要になってくるのが、相手との意思の疎通と互いの個性の尊重だと改めて実感しました。
しかし、それが叶わないと、時として対立が生じますが、叶うと、それぞれが複数の人へと拡がり、目標を共有する チームとして、分担を生み、さらなる能力の向上へと変化します。
その例えを紹介します。
「わくらば」の一節 (318頁)から、野村正行と昔の仲間だった斎藤進と浅井の三人組、その兄貴格の岡田満は市議を辞して市長選に出る意思をかため、後継者に進を選び、正行の旧知で満の相談相手の井奥参議院議員は、正行には公設秘書を勧めた・・・
正行、岡田、井奥の三人による会話の場面。
井奥:「じゃ、細かく説明するから、野村君よく聞いて。今回の市長選挙の党の公認推薦の話とは別に岡田さんの後継者問題も相談を受けてね。当初は 岡田さんは野村君を考えていたようなんだけど、私の所に公設秘書、できれば政策担当の秘書が欲しいということを含めてふたりで話し合った結果、市議の候補者には斎藤君のほうが適任ではないかという結論に至ったんや。その理由はふたつあって、ひとつに、消防本部のスキャンダルが収束しても斎藤君はそこにいづらいんではないか。ふたつに、奥さんを含めて地元
での貢献度に鑑みた場合、斎藤君のほうが選挙においては有利であるということ。野村君は東京だし、君には僕の公設秘書をお願いしたい。引越しはその上で」
と、冗談を交えて説明してくれた。
(中略)
岡田:「そや、生活のためにガソリンスタンドでバイトする。それはそれで俺は尊いと思う。プライドの高いオマエだけにようやっとると感心するホンマに。けど、同じなら生活のためだけでなく、自分の周りの人のためや国や国民のために働くという考えでこつこつやったらどうや。議員秘書は人との出会いや縁を大事にするのが仕事やからオマエに向いとる。その先に政治家があるなら、和尚が言うてたようにそれがオマエの天職で、そこに辿る“道”を歩いたらどうや? 今からでも遅うはないで」
(中略)
岡田:「井奥さん、さっきの話の進と、今話してる浅井という男とこの正行の三人組が、あの問題を解決したんですよ。これもなにかの縁ですよ。 これから正行が井奥さんの秘書、進が市会議員、浅井がボランティア活動家と、また三人組が復活してくれたら、私も井奥さんも仕事が面白くなりますよ。そう思いませんか?」
井奥:「ホンマや、それは間違いない、それこそいい縁や」
それぞれの個性を活かし、分担し合い、互いの自己実現に臨む、ここが「わくらば」の最終局面です。
はたして、正行は公設秘書になって、リカレント教育(学び直し)によって政策担当秘書の試験に合格するでしょうか? その結果は別として、正行は「自分らしい自分」を見つけ国会議員を志し自己実現への道を歩むでしょうか?
そこに感心が行きますが、その解説は、8)健全な人間関係~共生と 9)自己実現の範囲になるので次にして、この項の 7)自分らしい ~ 個性の部分をお話しますと正行が、天性持ち合わせている性質とこれまでの人世で身についた性格、それに自己実現を意識し歩み出し、これから得ていく経験知によって正行の天職となるなら、是非とも正行のこの転機を乗り切り、未来に進む姿を連想して、脳裏に焼き付けていただきたいと思います。
もうひとつ重要なのが、正行をの個性(価値観や理念)を感じとるエンパシーが岡田満や井奥参議にそなわっていたからこそ、議員や秘書という職を勧めたということ理解して欲しいと思います。
個性や才能を見出さずして、軽々に声をかける職種ではありません。
では次の項に進みます。
5)承認欲求で触れましたように、人は本能として、生命の維持、身の安全、他人との関りや集団への帰属といったように、一段ずつ欲求を満」していくにつれ、共生という健全な人間関係を望むようになってきます。
繰り返しになりますが、多様な個性を互いに理解し尊重し合い、意思の疎通が叶うと良好な関係になりますが、意思疎通がなければ対立を起こし、苦痛を伴う生活や最悪は疎遠や分断という結果になってしまします。
残念なことに、このコロナ禍に於いてさらに、人と人とのつながりが弱まっていると思うのは私だけでしょうか?
みなさんはどう思いますか?
人生に於ける様々な困難に直面した場合でも、最低限度のルールや共通認識を持ち、誰もがお互いの個性を認め合い支え合うことで、孤立せずにその人らしい生活を送ることができ、これが人としての尊い生き方であり、多様な人、皆が共生する社会といえます。
地域やコミュニティ、会社や学校という身近な社会集団に於いては、自分の役割や存在意義を自覚することで、その集団の一員という帰属、連帯する意識、社会的欲求が強くなり、同時に自己の悪玉をコントロールできれば、それは日常生活を送る上でも、「好きな自分」へ向かう重要な要素のひとつとなります。
心の安らぐところがなかった正行は、綾子との同棲でやっと安住の場を手に入れ、その環境を守るために、マンション販売の仕事に労を惜しまず働いていた。
最初の顧客となった天王寺の裏街でお好み焼き屋を営む女将は、強い帰属意識を もって小さなコミュニティの人たちと助け合いながら暮らしていた。
その女将の紹介のお陰で次々とマンションが売れた。
「わくらば」の一節(130頁)から、その女将との会話。
女将:「地主のおばあちゃん喜んどったで、新しいとこに住めて賃料も前よりようけ入ってくるて。何十年もここで助け合って生きてきたもんと離れ離れになるのが辛いから、ウチらは残ってたんや。ウチの隣の部屋を買うたエミちゃんなんか、『今度の立体長屋は雨が漏らんでええで』やて、こないだここで大笑いや」
正行:「それほんま?」
女将:「ほんまやがなぁ、ウチ嘘なんか言わへんでぇ。野村さんアンタは親切で誰にでもうち解けて機転の利くええ兄ちゃんや。ウチの子とは偉い違いや。ホンマ、親の顔が見たいわ」
女将は嬉しそうに私を褒めてくれるが、私は複雑な心境になった。育った環境から狡猾なところがあることは自覚しているが、これでもけっこう人の良さもあるつもりだ。
女将は私のどこを見てそう思ったのか? おまけに親の顔と言われても平凡な家庭で育ったわけでもないし、私は女将の言葉の真意を理解しあぐねた。
正行:「僕の小さいときに親が離婚して、中学から祖父母に預けられて身内との関わりが薄いんです。その分、友だちやその親が僕の兄弟やおっちんやおばちゃんみたいに思えて、でも、その人なつっこさって寂しさを紛らわすための狡猾さと思うんです、正直言うたら」
不思議にも躊躇なく女将に正直に言えた。
身内に安らぎを求めることができなかった私は、いつしか子供心に他人から優しさを得る術(すべ)を自然に身につけていたのかも知れない。
第一印象で嫌やなぁと思っても、相手のどこかに良いところがあるはずだから、自分から相手に好意を持てば相手も好意を返してくれる。
たとえ不良でも好いてくれれば怖くないし、味方につければ鬼に金棒だと。
普通の人にありがちな、人見知りや人に対して怖気つくような、ごく自然なことが、私には許されなかった。
これは、良いことか悪いことかわからない。良いこととするなら、他人にとって自分は良い人でありたいと思うところ、悪いとするなら他人を利用しようとするところかも――、この境を私は行ったり来たりしている。
女将:「そんなことないて、戦後この辺の子はみんなアンタみたいな子ばっかりで、大人がそれを見抜いたもんや。子供らかて、相手を見て来るんやから同じや。時代やろか、もう人との繋がりが薄なってしもて、そんな子は少ななったなぁ。気を悪せんとってな、ウチ、ずけずけもの言うよって、堪忍やで」
女将が私に感心してくれたのなら本当に嬉しい。でも哀れみ感じたのなら悲しい。
終戦直後の闇市の時代から半世紀以上、この天王寺の裏筋に蠢(うごめ)く多種多様な人間の坩堝(るつぼ)の中でどれだけ人の生きざまをみてきたことかと、この女将を想うと、人を見る目は確か。私はそう考えて素直に喜ぶことにした。
その前に、女将の言ったセリフに「親の顔が見たいわ」と、ありますが、この言葉の使い方は正しくありません。
しかし、あえて私が使っているのには意図があります。
教育を十分受けていなくても、リテラシーがなくても、人としての温かみや、住人としっかりとした信頼関係で結ばれていれば、高い帰属意識、人間性をもって生活することができる。
という意図から、この女将のセリフに間違った言葉を使いました。
いくら教育を受けて地位やお金を手にしても、それだけでは幸せになれないと言いたいのです。
この場面での正行は若く未熟で、それなりに自分の心の善玉と悪玉に気づいているのですが、残念なことに、それがまだ浅く、断片的で、深く、かつ大局的に自分を見つめてない。
諦観、達観できていないところに問題があります。
善玉を促進し悪玉を抑制していくというところにまではまだまだ達していないのです。
次に、暗黙知のルールについての例えを、「わくらば」の一節 (286頁)から紹介します。
浅井は正行のやり直しのために従弟の仕事を紹介すべく大阪への帰郷を促し、その費用まで用立てした。
そして、大阪での二人の会話。
正行:「―――、来るときにも、五万円貸してもろたし、ほんまに申し訳ない」
浅井:「水臭いこと言うの、やめてや。あれは貸した金やない、出した金や。これまでワシらの仲で金の貸し借りなんて一回もしたことないで、考えてみ」
そういえば、浅井とも、進とも金の貸し借りをしたことがなかった。
飲み食いは、ここはオマエで次は俺、という具合で、無理するような事態であっても金の貸し借りはしなかった。
それが黙約になっていた。
浅井:「金銭以外でも同じやて、自分だけのことで縁を潰すくらいのことまで強いたりせんし、約束違えられて恨むほどのことを引き受けたりせん、そこまでになる前に止める。ワシらはそんな仲やったやないか。そやから今回の五万円もそれや」
正行:「浅井ちゃん、恩に着る」
暗黙知のルール、それぞれに必要な良好関係を築き、維持するには不可欠なことであり、それを逸脱することは関係の瓦解を招くことになる。
同じく、「わくらば」の一節 (202頁)から、学生時代、主人公の正行はつるんでいた仲間から離れ、ひとり鶴橋の一画にある戦後の闇市の面影を留めるバラック小屋の呑み屋でひとり飲んでいた。
そこは、日雇い風の作業員やチンピラたちがたむろし、きついハングル訛りと大阪弁が怒号のように飛び交うカオスだった。
向かいの屋台に数人の伝法(でんぽう)な男が絡み合うようにして酒を飲んでいた。
異なる風体のその男たちは顔見知りなのかどうか知る由もないが、それぞれ三者三様、悲喜こもごも、唾を飛ばしながら喋っているものの、聞こえてくる話はまったくチグハグで嚙み合ってはいない。
しかし、一人が大袈裟な身振りで勢い余って転びそうになると、横の男がうまく宥めて座らせていた。
この極限の傷の舐め合い、ここは彼らにとって唯一のオアシスに違いないと私は思った。
暗黙知で互いの弱さを覚え庇い合う、この小さな場でプリミティ(primitive:原始的)な共生を形成する、その根底には価値観の共有が存在します。
さらに進化した共生の例を上げます。
「わくらば」の一節 (207頁)から、正行の同級生だった韓国系日本人の金と酒を飲み交わしながら話す場面。
金:「俺たちコリアンは鶴橋で自分たちのコミュニティを作っているけれど、その中でも駅周辺で住んでるコリアンは戦前の屈辱をバネに日本の敗戦後に成功していった人らで、一般はこのコリアンタウンや。あの猫の額ぐらいの狭い場所で生きていた人らはどっちかというと、ほとんど日本人や朝鮮人のコミュニティに入られない人らや。日本人と一緒になって親から感動された朝鮮人や、朝鮮人と一緒になった日本人で、立場の弱い人らが唯一暮らせる場所があそこやってん」
この一節こそ、プリミティブな価値観の共有によって、マズローの欲求五段階説の社会的欲求の他人と関り、家族やグループなどの集団に属したいという欲求を満たすものです。
ここから、他人との共存するなかで、次の承認欲求:他人から自分の価値を認めて欲しい、自分を認めたいという欲求の段階へと進みます。
そして、最終段階の自己実現までのプロセスに於いて、共生は人と人がいっしょに生きていく最も重要な要素となります。
共生の意識は基本的に、親兄弟や夫婦といった家族、友人やご近所、職場やコミュニティ、社会へと拡がって行きますが、ひとつひとつ積みあがって行くことが健全な形で、どこかが欠落してその先へ進むと結果的には幸福とは言い難いものとなります。
「縁」という機会によって「絆」という信頼関係を「紡ぐ」という行為から、優先順位が存在することは必然なのかもしれません。
マズローの自己実現へのプロセスに於いて、相手との微妙な部分を許容するという柔軟な対応能力が身につくにつれ、対立はさらに減り、互いの精神性はより向上することができます。
自己実現による精神性の向上こそ、これまで必ずしも十分に社会参加できなかった障害をもつ人たちも含め、誰もが自由に社会参加できる「共生社会」を創造すること ができる と、私は確信しています。
自分に向き合い、少しずつでも自分を知っていくためには、どうしても人間の本能や本質について知り、論理立てなくてはなりません。
そこで、人生のグランドデザインを描くための私の「4つの問い」の答えを
論証すべく、アズローの「欲求五段階説」を説明いたします。
この理論は人間の思考、言動、行動という行為には、人間の本能として現状より良くなりたいという欲求が根底にあるという仮説に基づいています。
第一段階、生命を維持するための食事や排泄、睡眠などの生理的欲求をもつ。
第二段階、身の安全や健康、及び経済的な安定等を確保したいという安全欲求。ここから人としての成長に欠かせないものとなってきます.
第三段階、他人と関り、家族やグループなどの集団に帰属したいという社会的欲求。
第四段階、自分を認めたい自己承認、他者から認められたいという他者承認という2つの承認欲求があります。
第五段階、ありのままの自分によって、あるべき自分になりたいという理想の自己を実現化する欲求の自己実現。
そのピラミッドを第一段階の生理的欲求から、一段ずつ欲求を満たしていくことで、最終的には最上段階の自己実現に向かっていくという理論です。
心理学における自己実現は、自分の夢や願望、憧れを実現させるのではなく、本来自分にそわっている個性や能力(ありのままの自分)の可能性を最大限に発揮して実現することです。
私は、この自己実現について、すでにわたしの4つの習慣のところで述べていますが、「わくらば」の一節 (229頁) 数年ぶりに故郷に帰り、正行は名づけ親の和尚を訪ねたときの、ふたりの会話の中の和尚のことば・・・
「――常に自分に向かい合って、己の執着や拘りを捨てて徳を積む。自分本来の正しき心に身を委ねて日々を生きる」
自分の内の悪玉の存在を認め、受け入れ、それを律しながら、善玉を育み生きる。
これこそ、私は自己実現としています。
それでは、自己実現に向けての例を紹介します。
「わくらば」の一節(212頁)正行は帰郷して、大学時代の同級生だった金と酒を飲み交わす。
正行の心境を察した韓国系日本人の金は胸襟を開き、自身のこれまで生きてきた想いを正直に伝える場面。
金:「俺も地域の金融業の端くれとして、これまでやってきて、組合の使命とはなんや? と、自問を繰り返して、やっと十年前から取り組んでいるのがこれや」
(中略)
金 :「――、俺の本業の金融は地域経済の振興や雇用を生んで、貧困対策にも間接的やけど寄与しとる。それに加えてここに暮らす人ら、特に未来を担う子供が自分や民族に誇りを持てるために、教育と文化スポーツにも寄与せなアカンと思ってやっとる」
正行:「格好ええ、で、それも仕事か?」
金 :「用具なんかの費用は組合からやけど、残念ながら人件費はなし、ボランティアや。それでも野村、人のことになることをするのは、自分のためにもなるで。第一、人との繋がりが広がって、いい人とも巡り会えて、その人から学べることが山ほどある。一番嬉しかったんは口コミで広がったんか、テコンドーのチームに地元の日本の小学校の子供らが六人入ってくれて、去年の大阪大会で優勝したんや。父兄の協力もあって、生野区の中でもウチのチームにはもう朝鮮や日本やという偏見がないねん。最高やろ! 人から求められることの幸福感は何事にも代え難い。俺らはもうええ歳や。“人生の午後三時”はもう過ぎた。野村もボランティアやってみいや」
金は差別に屈することなく民族に誇りを持ち、家族を大切にし、地域に根ざしながら社会貢献を通して韓国と日本の融和を喜ぶ。
金はこれまで幾度も自分と向き合い、自分の人生を考えた・・・
家族や仕事を大切にしながら ➡ コミニィティの活動に取り組み ➡ 社会課題解決へと進んでいく行く
この生き様は、金の自己実現といえます。
人生のグランドデザインを描くための、私の「4つの問い」の答えと、アズローの「欲求五段階説」が、妙に合致していることに気が付きました。
最後に、以下が私の4つの問いの答えであり、私の人生のグランドデザインです。
・自分にとっての幸せって、何?
その答えは、この自己実現と全く同じ、「自分らしい自分」で暮らす。
朝夕、両親の小さな仏壇に手を合わせ、日々の生活で自分を見つめ、感情をコントロールして、無理なく穏やかな気持ちで、周りの人との共生をはかる。
自分の思うことを人に伝えできることをする。些細なことでも喜んでもらえると嬉しい。
・自分らしい自分って、どんな自分?
その答えは、本来の自分にそなわっている個性と能力。
孤独は苦手、家族や周りの人といい関係で繋がっていたいという意識が強い。
エンパシーというか、他の人の考えていることや、思っていることを想像できるアイデアというか、発想力がある。
個性がそうであり、持ち合わせている能力を正しく使えば、多くの人と楽しい関係が持てる人間です。
・自分の人生は、何のためにある?
その答えは、高いレベルでの共生をはかる。
心の内にある自己の存在感や帰属意識といったところに留まるだけでなく、他者や社会に対して貢献できる自分であること。
その答えは、自己実現に向う。
柔軟で穏やかな気持ちを持ち続け、謙虚さと寛容な気持ちで人と接する。
心の中の悪玉を律しながら、善玉を増やしていくとともに、家族のみならず外に出て人との縁を増やし大切に育んでいく。
とはいっても、人間の心は複雑で、どんな優秀なメソッドでもそう簡単に成し得られるものでもないことは分かっています。
些細なことで起こる感情の起伏、日々変わる、いや、数時間数分数秒、刹那で変化するので、柔軟で穏やかな気持ちを持ち続けるなんて容易ではありません。
でも、人間には意思があります。それに何が愚かで何が大切かという知恵と徳があります。いわゆる人間力です。
私はそう信じて、私なりのメソッドをもって、描いたグランドデザインを少しずつ実行しながら、より具体的で詳細な計画を描き始めています。
この歳になると体力や気力、収入や友人・知人などと衰えたり失うものばかりですが、生きている限り失しなわないものがひとつあります。
それは経験です。
家に引きこもっていては増えませんが、思い切って積極的に外に出て人と交わり、社会に関わっていくと益々増えて行きます。
これまでの人生経験の引き出しの多さをもってすれば高度な経験知となるでしょう。
先ず家から玄関のドアを開いて外に一歩踏み出す。
自分の中に引き籠らないで他の人に胸襟を開いて、広い社会に・・・
ただ生きているから活きているに変ります。
シニアが豊富な経験知を惜しみなく提供し、より多くの活きる喜びを得る場として社会貢献活動は最適だと思いませんか?
ヤング世代やミドル世代は人口減少の続く日本にあって、子育てや経済活動の中心的な役割を担っています。
多くの人と支え合う共生社会に於いて、せめて、支えてもらう前に元気なうちに支える側としてわれわれシニア世代が社会課題解決のための活動を担う。
しかし日本には未だに、社会貢献、ボランティアの見返りは求めない無償の奉仕・・・という概念が根深く残っています。
これは如何なものでしょう?
みなさんはどう思われます?
とても、尊く素晴らしく、全く異論はありませんが、その精神で活動できる方たちだけではとても担えないのが現状です。
ボランティアしたくても経済的理由からできない方も多く、少し得られればもっとできるのにと、思っている人に対して軽蔑視する方も残念ながら中にはいます。
経済的なものが少しでもあればもっと多くの方が参加できる。
当然、私もそうです・・・
サスティナブル:持続可能という観点でNPO等の維持費確保の上に於いて最低限の収益は必要ですし、優秀な人材確保に於いても同様です。
収入に関しては、適正な税(公益性による軽減された税)を払えばいいのです。
暴利ではなく、人も組織も有償で動くことを当たり前として取り組めば、ソーシャルビジネスをも含め、世界に比べ恥ずかしいくらい低い日本のその分野のGDP比率も上がるでしょう。
この有償ボランティアに関しては、次作の小説のテーマとして描いていますので、ここでは控え、みなさんに一日でも早く公開できるように頑張りたいと思います。
ここまで 私が来れたのは、社会課題に取り組む団体を支援する、中間支援団体の認定NPO法人「プラチナギルトの会:https://sp.platina-guild.org/」に参加させていただき、多様な見識と考え方を持つ人たちと交流し、学ばせていただいたおかげと感謝しています。
当然、私なりにできる社会貢献をさせていただくことで、自分への信頼「自分が好きになる」も生まれ、少しずつですが心の中の悪玉を律しながら善玉を増やしていく日々を送ってこられたこともその一因と考えています。
歳いけども、衰えぬ経験知をもって、少しでも共生社会の創造を担えるように・・・
以上です。
この「わくらば」には、まだまだ生きるための気づきやヒントをあちこちに埋め込んでいます。
それをひとつ、またひとつと、探してみてください。
みなさんのその時々の心情によって、見え方が異なったり、見つかったり見つからなかったりと違ってきますので、一度お読みいただいても、ふと、生活が息苦しいと感じたら、再び手に取っていただければ、筆者としてこの上ない幸せです。
次回、「わくらば」に込めた想いPart2 ~父と子について~ をお話させていただきますのでご期待ください。
ありがとうございました。
小山昌孝
参考文献:
「トランジション」 W・ブリッジス 著 / 倉光修、小林哲郎 訳 (創元社)
「無意識の心理」 C・G・ユング 著 / 高橋義孝 訳 (人文書院)
「ユング心理学入門」 河合隼雄 著 (培風館)
「生きるために大切なこと」 A・アドラー 著 / 桜田直美 訳 (方丈社)
「嫌われる勇気」 岸見一良、古賀史健 著 (ダイヤモンド社)
「アズローの心理学」 F・ゴーブル 著 / 小口忠彦 訳 (産能大出版部)
「林住期」 五木寛之 著 (幻冬舎)
「遊行の門」 五木寛之 著 (徳間書店)
「今を生きる力」 五木寛之 著 (NHK出版)